美しい人

木こりは木と会話をする。

「あなたを切ってもいいですか」

木達は答える。

『私はまだ若いからもう少し先の方がいいわ』
『今は、小鳥が休んでいるからまた後で』
『それよりも幹の側面が痛いよ。助けて』
『あぁ。もう頃合いだよ。今まで本当にありがとう』

ざわざわと一斉に葉末が音を立てる。それは鈴の音にも似てた。 ある時は美しい音だ。ある時は怪しい、不安にさせる音だ。
木こりは探る。笑っているのはあの木で、泣いているのはこの木。ありがとうといった木はさて、どの木か。

木こりは木が自分たちの生活においてどれくらい大切か分かっているから一本一本を尊ぶ。 感謝の気持ちを決して忘れない。
木も木こりが自分たちをどれくらい大切に思ってくれているかを知っている "大切にしてくれてありがとう。今まで助けてくれてありがとう。" 木を切るのが木こりだが、木の成長を助けたり、病気を治療しているのもまた木こりである。 だから木は木こりに感謝する。
木こりと木のそのサイクルはもうずっと前、大昔から続いてきた。 助け合い、支え合い、木こりと木は生きてきた。

彼も、その木こりの一人だった。
器量が良い訳でもなく、頭が良い訳でもない。 お金持ちの家の子ではなかったし、人に馬鹿にされることの方が多かった。 だが、木こりという仕事に対しては誰よりも誠実だった。 誰よりも木達の話を聞いた。誰よりも木達に自分の話をした。誰よりも長い時間その森で過ごした。 だから誰よりも木達と仲が良かった。
ただ一本の木をのぞいて。

その木は森の中で一番の変わり者だった。
小鳥やリスが自分に棲みつくことを嫌い、木こり達からの成長の助けや、病気の治療も嫌った。 何より木こりとの会話どころか、他の木との会話すら嫌っていた。雨も風も太陽も他の動植物も同胞ですら、その木、彼女にとっては全てが敵だった。

「今日は風が気持ちいいな」

彼はいつものように彼女に話しかけた。
葉末は鳴らない。囁きもしない。こんなに風が出ているのに。彼女は口を固く閉ざしたままだ。いつものことだが。
こんな風に彼は毎日彼女に話しかける。他の木こり達はもう彼女に見向きもしないというのに。どうして。
それは、彼女と話がしたい。ただそれだけの理由だった。
一度だけ聞いたことがあるのだ、彼女の声を。彼女も気まぐれだったのだろう。
その葉末の音、彼女の声は凛としていて、優しい音だった。 そのたった一度で彼は分かったのだ。"あぁ、なんて美しい人なんだろう"と。 もう一度その音を聴きたい。彼女の声が聴きたい。その思いで彼はその日から毎日彼女に話しかけるようになった。

最初は煩わしかった。ただ一度気まぐれで応えただけだったのに、どうしてこうも毎日話しかけてくるのか。彼女は理解できなかった。 別に理由なんてない。なんとなく、そんな気分だっただけで本当に意味なんて無かった。彼が特別だった訳じゃない。 木こりも小鳥もリスも、自分の同胞すら嫌いなのに。彼女の中に特別なんて在るはずがないのに。なのに話しかけてくる。本当に理解に苦しむ。 彼女がこんなに煩わしく思ってるのに何故彼は気付かないのか。
全く面白くない話。
全く生産性のない話。
早く他の木の所へ行って、会話でも世話でもすれば良いのに。
しかし次第に、彼女は彼に話しかられるのが楽しみになっていった。 面白くない、まるで生産性のない話を続ける彼だったが、彼の声は深くて厳しい声だった。聞いていて心地の良い音だった。 だから彼女にも分かった。 "彼は今まで出会った中で一番美しい人だ"と。
彼が一方的に話す形で二人の逢瀬は続いた。どちらにも分かっていたのだ。
なんでもないことを話すだけで良い。応えなくても大丈夫。或いは、
話し続けなければならない。応えてはいけない。
会話なんて成立しなかったが、その逢瀬で充分だった。彼と彼女は心のどこかで繋がっていた。 他の木こり達や木達には理解しがたい、見えない絆。

一人と一本の逢瀬は続く。
何日も何カ月も何年も。
彼は話し続けた。彼女は答えなかった。
一人と一本の関係は変わらなかった。
しかし、彼から消えていく一つの感情。初恋にも似た後悔。
しかし、彼女に芽生える一つの感情。たしかなまごころ
本当は最初から彼女が持っていたもの。思っていたこと。彼は気付かなかった。気付けなかった。 最初の会話でそれは簡単に気付けそうなものだったのに。美しい人の美しい声を聴くことに躍起になった。だから築けなかった。
彼は本当は美しい人だと信じていた。だけど実際は美しいものに憧れているだけだった。彼女はそれに気付いた。 気付いたからこそ黙っていた。いつか、彼が自分で気付くと信じて。美しい人への焦りが彼女を押し潰していく。
彼女は愛していた。この森を。小鳥をリスを同胞を。だから築いた。

今日も木達はざわざわと音を立てる。葉末の音、鳥の囁き、リスの楽しそうな声。 照明が降り注ぐなか、緑が踊り、風が通り便りを残して去っていく。
いつもと変わらない森の大合唱だった。
だけど、今日は―――――。
大きな音を立てて一本の木が倒れた。耳を塞ぎたくなる様な轟音。鳥も、リスも逃げ、緑はいつも以上にざわついて、風は素通りしていく。
倒れたのは彼女だった。
今日、木は木こりによって切られ、倒されたのだ。 木こりの生活のために、木こりの糧になるために。
彼はいつもと違って何も言わなかった。
彼女はいつものように何も言わなかった。
お礼の言葉なんて勿論なく、恨みの言葉さえなかった。 彼はとうとう最後まで一度も彼女の声を聴くことが出来なかった。 彼女は最後なのに彼の声を聴くことが出来なかった。



「なぁ、おい。あんたを切っても良いか」
冗談のような口調で彼は言う。風の音に似た優しい響きで。
「嫌よ」
彼女は気まぐれで応える。それに木こりなんかに倒されるのなんてまっぴらだった。 彼女は彼らが嫌いなのだ。
「そっか。あんたが駄目なら良いと言ってくれる木を探すまでだ」
彼女の答えを彼も予想していたのだろう。随分諦めよく、納得したように彼は言う。
「他の木を切るの」
彼女は少しだけ震えた。びくりと、まるで何かに脅えるように。だって彼女は同胞たちを愛していたのだ。 木こり達のことも本当は嫌いじゃなかった。これから雨季が来るのに。同胞たちは木こりに何も教えていないのだろうか。
「そうだね、他の木を切るんだよ」
「それは、もっと嫌」
彼女が彼を引きとめる。精いっぱいの力で。今の彼女の精いっぱいの言葉で。
「だったら私を切ればいい」
その思いが通じたのか、それとも元々着る予定なんて無かったのか。 案外彼は彼女の同胞から既に話を聞いていたのかもしれない。本当に冗談で尋ねたのだ。 なんとなく、話のタネがなかったからそんな冗談を言ったのかもしれない。
「……今日は気分が乗らない。また明日来る」
だから、

彼と彼女が出会ったその日、森はいつものように大合唱していた。




end







(20110914)